尖石石器時代遺跡(昭和27年3月29日特別史跡指定)は、標高約1,070mの八ヶ岳西麓にある縄文時代中期の集落跡です。昭和5年に始まる宮坂英弌氏の発掘調査により、日本で最初に縄文集落の構造が明らかにされた「縄文集落研究」の原点となった遺跡で、その後の調査を含め、200軒を超える縄文時代中期の竪穴住居址が発見されています。
吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡の旧神埼(かんざき)町・旧三田川(みたがわ)町・旧東脊振(ひがしせふり)村の3つの町村にまたがった国内最大の遺跡で、弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代700年間の移り変わりを知ることができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。
三内丸山遺跡では、平成4年(1992年)から始まった発掘調査で、縄文時代前期~中期(紀元前約3,900~2,200年 現在から約5,900~4,200年前)の大規模な集落跡が見つかりました。たくさんの竪穴建物跡や掘立柱建物跡、盛土、大人や子供の墓などのほか、多量の土器や石器、貴重な木製品、骨角製品などが出土しました。
登呂遺跡は、約2000年前の弥生時代後期の遺跡。第二次世界大戦中に軍需工場建設の際に発見され、戦後に発掘作業が開始。戦前の皇国史観の教育が大戦を機に根底から見直されたタイミングで発見された登呂遺跡には、自分達のルーツを改めて確認できる貴重な機会として、全国から大変な注目が集まりました。